柴崎岳の本拠地は最果ての地に。欧州を席巻したデポル、運命の一戦 (5ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • photo by Mutsu Kawamori/MUTSUFOTOGRAFIA

 スペインでは監督のことを「ミスター(ミステル)」と称すが、そこでイルレタにつけられた異名は「ミスター4-2-3-1」だった。4-2-3-1を好んで使用した監督だ。

 4-2-3-1という4文字表記を初めて口にしたのはフース・ヒディンクだろう。1998年フランスW杯で、この布陣を用いてオランダ代表をベスト4に導いたことで、世界的に流行していくことになるが、そのW杯明けのシーズン、デポルティーボの監督に就任したイルレタも、4-2-3-1及び攻撃的サッカーの興隆を語る際に外せない名前になる。

「攻撃の基本はまず外から」「サイドも中盤に含まれる」等は、イルレタがよく口にした台詞だが、リアソールのピッチに描かれた4-2-3-1には、時代の最先端を行く目新しさがあった。日本人にはとりわけ眩しく映った。

 デポルティーボが下り坂に転じたのは、2003-04シーズン、CLでベスト4入りした後だった。この時、準決勝で敗れた相手はジョゼ・モウリーニョ率いるポルトだった。デポルティーボは0-0で折り返したその第2戦で、マウロ・シウバとジョルジュ・アンドラーデという2人の中心選手を欠いていた。結果は0-1。アンドラーデの代役で出場したセサールが、ポルトの10番デコを倒し、PKを取られたことが致命傷となった。

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