柴崎岳の本拠地は最果ての地に。欧州を席巻したデポル、運命の一戦 (4ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • photo by Mutsu Kawamori/MUTSUFOTOGRAFIA

 1998-99シーズンにハビエル・イルレタが監督に就任すると、デポルティーボは成績をさらに上昇させた。就任2シーズン目(1999-2000)には、国内リーグ優勝を果たす。チャンピオンズリーグ(CL)にも翌2000-01から5シーズン連続出場することになる。ベスト4が1回、ベスト8が2回、ベスト16が1回と、決勝トーナメントの常連として欧州全土にその名を売った。

 最果ての地の港町にある非ビッグクラブが、いいサッカーを最大の拠り所に、スペインはもとより欧州のビッグクラブに立ち向かう姿に、判官贔屓は触発された。

 イルレタ監督はバスク人で、ビルバオのゲチョという街に家族は住んでいた。ラ・コルーニャには単身で赴任していた。リアソールまで1.5キロほど離れた、オルサン湾とスタジアムを眼下に望む「メリア・マリア・ピタ」というホテルの7階の一室を住居に充てていた。

 筆者はイルレタ監督に何度となくインタビューした。ほぼラ・コルーニャを訪れるたびに。監督インタビューは、それ以前も以降も、日本人外国人にかかわらず、数多くこなしていた筆者だが、イルレタ監督に勝る人はいなかった。回数のみならず、内容的にも、だ。

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