デル・ピエロの驚愕のシュートは「世代交代のシグナル」だった (6ページ目)

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi
  • photo by AFLO


 手元には今も、チケットセゾンで購入したバックスタンドS席前段J列48番の6000円のチケットがある。

 ユーベの大エースとなるデル・ピエロだが、不思議と"アズーリ"(イタリア代表の愛称)では活躍できなかった。

 EURO96では1.5列目をジャンフランコ・ゾラに譲り、左サイドハーフを務めたが、見せ場を作れぬままチームはまさかのグループステージ敗退に終わった。

 10番を背負った1998年フランス・ワールドカップでは不調に陥り、スーパーサブとして土壇場でメンバーに滑り込んだバッジョの前で霞んでしまう。

 再び10番を背負ったEURO2000では、スタメンをフランチェスコ・トッティに譲る試合が多く、"アズーリ"は準優勝を果たしたものの、守備的なスタイルでもあったため、やはり輝くことができなかった。

 そして、2002年日韓ワールドカップからは10番をトッティに譲り、デル・ピエロは7番を背負った。トッティと共演したこともあれば、控えに回ることもあった。

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