2020.04.14

かつてシメオネとグアルディオラが激突。
アトレティコ本拠地の数奇な歴史

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • photo by Mutsu Kawamori/MUTSUFOTOGRAFIA

 1996年当時、何もなかったスタジアム周辺は、現在、まったくの別世界に発展している。それは、マドリードの市街地が東の方向に発展していったことと関係している。郊外型のスタジアムではあるが、街の中心地が東に移動していることで、スタジアムが市街地の中に取り込まれつつある状態だ。アトレティコはいい方角に引っ越したという印象だ。

 古いノートを広げ、96年8月28日のスーペル・コパ、アトレティコ対バルサ戦を振り返ってみた。結果は3-1でアトレティコ。しかしバルサホームの第1戦を2-5で落としていたため、アトレティコは合計スコア4-5で敗れた。スタメンにはディエゴ・シメオネの名前があった。昨年までジェフ市原・千葉の監督を務めていたフアン・エスナイデルも、交代で出場していた。

 バルサのスタメンは、フレン・ロペテギ、アルベルト・フェレール、ゲオルグ・ポペスク、ローラン・ブラン、アベラルド・フェルナンデス、ジョゼップ・グアルディオラ、セルジ・バルフアン、ギジェルモ・アモール、フリスト・ストイチコフ、ルイス・エンリケ、フアン・アントニオ・ピッツィ。第1戦のメンバーはもう少し豪華で、ロナウド、ルイス・フィーゴ、ジオバンニの名前があった。

 1996-97は、移籍の自由と、外国人枠の撤廃などを謳ったボスマン判決が施行されたシーズンでもあった。欧州サッカーはこれを起爆剤にさらなる発展を遂げていくことになるが、メトロポリターノの正面スタンドに着席すると、それ以降の欧州サッカーの興隆が、走馬灯のように駆け巡るのだ。



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