かつてシメオネとグアルディオラが激突。
アトレティコ本拠地の数奇な歴史

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • photo by Mutsu Kawamori/MUTSUFOTOGRAFIA

 当時、観客席があったのは正面スタンドのみだった。バックスタンドと両ゴール裏は芝生席で、日本の各地でよく目にする、国体開催のために建設された陸上競技場を想起させた。だが、正面スタンドだけは趣が違っていた。丸いお盆を半分に割ったような半円型の形状で、それを斜めに立て掛けたような、1度見たら忘れない特徴的な造りだった。

 アンバランスで、とても完成形には見えないスタジアムだった。なるほど、そうだったのかと、納得させられたのは、それからだいぶ経ったあとだ。マドリードがオリンピックの開催地に立候補する話を耳にした時だった。2012年、2016年、2020年と、マドリードは3度立候補しているが、そのメイン会場に予定されていたのがこのスタジアムだったのである。

 先に正面スタンドだけを造っておき、開催が決定したらバックとゴール裏席を建設しようとしたわけだ。しかし、マドリードはいずれも僅差で落選。招致活動の中で生まれた「エスタディオ・オリンピコ・デ・マドリード」(マドリード五輪競技場)案は、行き場を失うことになった。

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