なぜ現代最強フットボーラーなのか。ファン・ダイクのすごさと唯一の欠点 (2ページ目)

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by Getty Images

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 ただ、当時のユースチームの監督はCBとしてのファン・ダイクもそれほど買っておらず、トップチームへの昇格を見送っていた。才能を見抜いたのは別のクラブ、フローニンゲンのスカウトだったマルティン・クーマンだ。クーマンの誘いで、ファン・ダイクはフローニンゲンのユースへ移籍している。

 マルティン・クーマンはフローニンゲンの名DFだったが、オランダ代表の常連にもかかわらず出場は1試合にすぎない。フローニンゲンでは中心選手だったので、現在ホームスタジアムには「クーマン・スタンド」が設けられている。ただ、これはふたりの息子との"合わせ技"だ。彼のふたりの息子は、はるかに有名なエルウィンとロナルド。1988年にヨーロッパ選手権(ユーロ)を制したオランダ代表で、中心選手として活躍した兄弟だった。

 2011-12シーズン、ファン・ダイクはフローニンゲンでプロデビューを果たしたあと、スコットランドのセルティックへ。さらに15年にイングランドのサウサンプトンへ移籍する。その時のサウサンプトンの監督がロナルド・クーマンというのも、何かの巡り合わせだろうか。

<フィジカルエリート>

 17年12月、冬の移籍市場でサウサンプトンからリバプールへ。移籍金は推定7500万ポンド(約114億円)、DFとしては史上最高額になる。18-19シーズンにはイングランドのプロサッカー選手協会、PFAの年間最優秀選手賞を受賞。DFとしては04-05シーズンのジョン・テリー(チェルシー/イングランド)以来だった。

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