メッシを生んだバルサのルーツ。「小さな選手に目をかけろ」 (5ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by MarcaMedia/AFLO

 しかし、ブスケッツは足技に優れていたが、セービングに深刻な問題を抱えていた。さらに、相手をかわそうとしてボールを奪われるシーンは目を覆うばかりだった。不必要な失点を重ねた。

 各選手の技術がクライフの理想に追いつかない。ブスケッツはその象徴だった。結局、ラ・マシア中心のドリームチーム2は絵に描いた餅に終わっている。

「クライフのサッカーが独特だと思い知らされたのは、ほかのチームに移籍してからだよ」

 ドリームチーム2の一員としてプレーしたファン・カルロス・モレーノはそう洩らしていた。

「クライフは常にボールを支配することを望んでいた。ラ・マシアでも、どのカテゴリーでも、パスを回すのが大前提で、アバウトなロングパスなんてありえなかった。でも、外の世界ではそれが常識だったんだ。自分の頭の上をボールが行きかう、見たこともない状況でどうプレーすべきか、しばらくは苦悩したよ」

 その特異性にバルサの真実はあった。それからメッシが活躍するまでには20年を擁した。時間が必要だったのだ。

 1996年5月、クライフは成績不振を理由に解任され、チームを去った。以後、二度とクラブの監督をしていない。
(つづく)

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