メッシを生んだバルサのルーツ。「小さな選手に目をかけろ」 (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by MarcaMedia/AFLO

 1988年にバルサの監督に就任したオランダ人クライフは、「ジーザス(神)」とまで崇められる。1990-91シーズンからリーガエスパニョーラで4連覇を達成しているが、そのうち3回が最終節での逆転優勝だった。1991-92シーズンには、クラブ史上初のチャンピオンズカップ(現在のチャンピオンズリーグ)優勝をもたらした。

「偶然や奇跡ではない。我々は自分たちが信じた戦いを貫いてきた。それが最後に実っただけだ」

 クライフはそう述懐しているが、容易いことではない。

 実に派手なチームだった。5-0で相手を沈めたかと思うと、中堅以下のクラブにあっさりと足元をすくわれた。前がかりの布陣だけに、カウンターに脆かった。それでも危険を冒して攻撃に挑むスリルが、人々を虜にした。

 もっとも、クライフ自身は大まじめだった。まず、ラ・マシアからトップチームまで一貫した戦い方、システムを用いるように徹底している。アヤックスがひとつのモデルだった。実は、それまでのバルサの下部組織は、それぞれの年代のチームが勝手に戦っていた。一貫した組織にすることによって、選手のスカウティングから成長プロセスまで、効率性を高めたのだ。

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