首位でも問題噴出のバルサ。現在の「不安定さ」にもつながる歴史的背景 (5ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • 中島大介●写真 photo by Nakashima Daisuke

 1984-85シーズンはイングランド人監督のテリー・ベナブルスが、ドイツ人のベルント・シュスター、スコットランド人のスティーブ・アーチボールドを中心に戦い、タイトルを手にした。ただ、このシーズンはレアル・マドリードが5位と勝手に失速したこともあり、あまり語られることがない。その後、レアル・マドリードが成し遂げたリーグ5連覇のスパイスになってしまったのだ。

 バルサはカタルーニャ人を土台としながら、主役は外国人が務めてきた。不遇の時代から救い、チームに色づけをしたのも、1988年に監督として戻ってきたクライフだった。

「無様に勝つな。美しく散れ」

 バルサはクライフが打ち出した美学によって、世界中で愛されるクラブになった。だがその一方、土台がエモーショナルなだけに、不安定さがつきまとうのも必然だった。彼らは、ある条件下でシナジーを生み出すことになるのだ――。
(つづく)

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