首位でも問題噴出のバルサ。現在の「不安定さ」にもつながる歴史的背景 (4ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • 中島大介●写真 photo by Nakashima Daisuke

 その当時、バルサはラス・コルツというスタジアムを使用していたが、そこに入り切れない人々が塀の上に座って、外側から見るとお尻が並んでいるように見えた。この大盛況で、バルサはカンプノウの着工に踏み切った。

 もっとも、人々を虜にしたクバラの活躍は急速にしぼんだ。当時は相手をケガさせるタックルが横行しており、それにより前十字靭帯断裂、半月板を損傷。復活を果たしたが、かつてのスピードは失われていた。

 そしてクバラが退団すると、バルサは10シーズン以上、リーグタイトルを取っていない。レアル・マドリードの後塵を拝し、辛酸をなめ続けた。憎しみはさらに培養されていった。

 再びバルサがリーグ優勝するのは、1973-74シーズン。"空飛ぶオランダ人"ヨハン・クライフが舞い降りた時である。クライフはクバラ以来の伝説となった。敵地サンティアゴ・ベルナベウで0-5とレアル・マドリードを下す試合をやってのけ、神格化された。しかしその後は再び10シーズン以上、リーグ優勝はない。

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