首位でも問題噴出のバルサ。現在の「不安定さ」にもつながる歴史的背景 (3ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • 中島大介●写真 photo by Nakashima Daisuke

 やがてバルサはマドリードとの戦いに怨念を燃やすようになった。不条理な敗北を強いられたこともひとつの要因だろう。GKが観客からものを投げつけられても、警官が止めない。あっけなく中心選手が審判に退場させられる。カタルーニャ人はそのたび、憎しみを増幅させた。

 その憎悪の感情エネルギーが、バルサの奥深いところに根付いたのだ。

 暗闘してきたバルサだが、1950年代はラディスラオ・クバラによって明るい希望が差した。

 クバラはスロバキア人の両親に生まれ、チェコスロバキア、ハンガリー代表としてプレーするが、共産主義化で食い扶持を奪われ、難民としてバルセロナに流れ着いた。勇猛さと実力は、今で言えばルイス・スアレスに近いか(ある試合では、味方トレーナーが相手選手に小突かれたのに怒り、数人を殴り倒した!)。屈強な体で類まれなセンスを持ち、1951-52、1952-53シーズンとリーグ連覇をもたらした。

 バルサのファンを「クレ(カタルーニャ語でお尻)」と呼ぶが、その由来はクバラにある。

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