首位でも問題噴出のバルサ。現在の「不安定さ」にもつながる歴史的背景 (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • 中島大介●写真 photo by Nakashima Daisuke

 ラ・マシアはシャビ・エルナンデス、アンドレス・イニエスタ、メッシなどを輩出し、バルサの根幹を担ってきた。最近は大金を投じて獲得した外国人選手が振るわず、ラ・マシア軽視に批判が高まっている。

 そして3月、バルサは永遠のライバルであるレアル・マドリードに2-0と完敗している。クラシコでの敗北。それはリーグ優勝を逃すことに等しいとも言われる。

 噴出するさまざまな問題に、カタルーニャ州にあるバルサというクラブの特異性が見えてくる――。

 1899年に産声を上げたバルサが、当時、スイス人やイギリス人など外国人を中心に立ち上げられたことは有名な話だろう。青とえんじのユニフォームも、スイスのFCバーゼルのユニフォームを模している。地元カタルーニャの色合いはまだ薄かった。

 その存在意義を劇的に変化させたのが、1930年代に起こったスペイン内戦だろう。

 フランシスコ・フランコによる軍事独裁政権の樹立によって、カタルーニャは独自の言語、文化の猛烈な弾圧を受け、虐げられた。そのため、中央政府の象徴だった首都のクラブ、レアル・マドリードに勝利することが、バルサの大義となった。クラブはクラブの存在を越え、カタルーニャ人たちのアイデンティティとなっていったのだ。

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