わずか32歳で名監督。ライプツィヒ・ナーゲルスマンの卓越した戦術論 (2ページ目)

  • 鈴木達朗●文 text by Suzuki Tatsuro
  • photo by Getty Images

 初めての舞台での失敗を、ドイツメディア『SPOX』に語っているナーゲルスマン。ユーモア溢れる当意即妙な受け答えで好感を集めるが、20歳のときには、人生を左右する苦難を乗り越えている。数年に渡って痛めていたヒザの半月板のケガで手術を繰り返し、満足にプレーできない状態が続いたことで、アウクスブルクのセカンドチームで引退を決断したのだ。さらに、その約5カ月後には父親が亡くなるという不幸に見舞われた。

 経済的な支援を必要としたときに手を差し伸べたのは、当時アウクスブルクのセカンドチームで監督を務めていたトーマス・トゥヘル(現パリ・サンジェルマン監督)だった。シーズンが終わるまで、アシスタントコーチとして対戦戦相手のスカウティングなどの仕事を任され、シーズン終了まで契約することができたのだ。トゥヘルもまた、現役時代にナーゲルスマンと同じようにケガでキャリアを終えている身だった。

 ナーゲルスマンにとっても、このトゥヘルとの仕事は、指導者としての道を開くきっかけとなった。翌シーズンに古巣の1860ミュンヘンのU-17へコーチとして戻ると、それまで学んでいた経済学を止め、通信大学でスポーツおよびトレーニング科学と教授法を勉強し、卒業した。

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