2019.11.07

世界有数の問題児、エジムンド。
日本でも活躍したお騒がせFWのクラブ愛

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by Getty Images

 しかし、99年にヴァスコに復帰すると再び大活躍。今回はロマーリオとの2トップが機能して大暴れするが、2000年にブラジルで行なわれた第1回クラブワールドカップ決勝でエジムンドがPKを外し、優勝をコリンチャンスにさらわれる。

 キャプテンの座をロマーリオに奪われたことで仲違いし、「バッド・ボーイズ」と言われた2人のコンビもあえなく解散となった。その後、サントス、ナポリ、クルゼイロを経て、2001年に唐突にJリーグにやって来る。

<心のヴァスコ>

 トラブル・メーカーではあったが、その技術が一級品なのは間違いない。体幹が異常なほど安定していて、ビシッと上体がキマっていながら足首は別の生き物のように柔軟だった。

 まるでトカゲのように急停止できて、足首の微妙な操作で自在にボールを操れるので、トラップ1つで背後の敵をあらぬ方向へすっ飛ばしていた。伝説的な柔道の技に「空気投げ」があるが、エジムンドはそんな抜き方をよくしていた。

 ブラジル代表では、同時代にロマーリオ、ベベット、ロナウドがいたので活躍の機会は限られていたが、世界トップクラスのアタッカーだった。ただ、世界有数の問題児であるのも確かで、東京ヴェルディが獲得した時は期待と不安の両方があったものだ。

 01年の終盤に東京Vに加入すると、ラスト5試合を3勝1分1敗で切り抜け、エジムンドはJ2降格阻止の立役者となる。翌年も16ゴールと活躍してチームを牽引した。この東京V時代は、本当にあのエジムンドなのかと思うぐらい平穏無事に過ごしている。

 ところが、03年に浦和レッズに移籍するとリーグ戦に1試合も出場しないまま退団してしまった。ハンス・オフト監督と合わなかったとされているが、たんにヴァスコに戻りたかったのかもしれない。監督批判は口実だったのではないか。

 何しろクルゼイロでプレーしている時に、ヴァスコ戦では「得点したくない」と公言し、実際にヴァスコ戦で得たPKを故意に外しているのだ。これが原因でクルゼイロを追われたのでJリーグへ行くことになった。キャプテン剥奪でロマーリオと揉めたのも”ヴァスコ愛”ゆえ。復帰の道が拓かれたので、もう何をしてでもヴァスコに戻ると決めていたふしがある。