2019.10.24

酔っ払いながらゴール。ペレよりも多く
5000得点した破格のストライカー

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by Getty Images

 オーストリアにいた時は、ナチス・ドイツに併合された。ヴンダーチームのメンバーはドイツ代表に組み込まれている。ヴンダーチームの象徴だったマティアス・シンデラーは、ドイツ代表への招集を何度も拒否し、最後に旧オーストリア対ナチス・ドイツの試合でドイツを叩きのめす立役者になったあと、アパートで自殺した。遺書もなく、他殺説もある謎の死だった。

 ペピはナチスへの協力を拒否してチェコスロバキアに渡ったのだが、今度は共産党から協力を要請されることになってしまう。ペピはそれも断ったのでプラハに居づらくなり、3つのクラブを転々と渡り歩くのだが、3つめのクラローヴァでトラブルに巻き込まれてしまい、ディナモ・プラハと名を変えていたスラビア・プラハへ戻った。そこで2シーズン、引退した時は42歳。リーグ最年長プレーヤーになっていた。

 クラローヴァを追い出されたエピソードは気の毒としか言いようがない。共産党からメーデーのパレードへ参加するように要請されたが、やはりペピは断っていた。プラハを離れてからは共産党との関係改善も図っていたのだが、ナチスだろうが共産党だろうが政治的に利用されるのが嫌だったのだろう。

 パレードでは国の最高指導者の名が連呼されていたのだが、いつのまにか人々はペピの名をコールしはじめた。本人がその場にいないにも関わらず、拡声器で連呼される指導者の名前をかき消すように「ペピ! ペピ!」と集まった人々が騒ぎ出したのだ。共産党員にはそれが気に入らなかった。ペピに即刻退去の命令が下る。

 ペピが街を離れる日、駅には地元の労働者50人が集まって押しとどめようとした。ストライキを決行するとまで言われたが、ペピは丁重に断り、クラローヴァを去って行った。ストライキなど始まれば、全員監禁されるのは目に見えていたからだ。

 引退後はいくつかのクラブで監督も務めたが、共産主義政権の下で資産は没収され、1人の鉄道労働者として働いている。1989年、共産主義体制が崩壊した後、一部の資産と名誉が回復された。2001年、88歳で死去したのはクリスマスの2週間前だった。

 スラビア・プラハ時代、ペピは行方不明事件を起こしている。先発メンバーから外されるという噂を信じてしまい(信じやすい人だったのだろうか)、恥ずかしくなって恋人と森の奥へ逃避して酒ばかり飲んでいたという。ところが、実際には先発メンバーに入っていて、ラジオでは連日行方不明のエースストライカーに呼びかけていたのだが、本人が気づいたのは街へ酒を買い足しに行った試合当日だった。

 慌ててスタジアムに駆けつけ、ぎりぎりで間に合って試合に出るとバカスカ点をとって観衆を熱狂させた。ところが、酔っぱらっていたペピは試合のことを全然思い出せなかったという。やっぱり、かなり破格の人ではあったようだ。

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