2019.10.22

バイエルン&ドイツ代表を
「結果の出るニュースター」がけん引する

  • 鈴木達朗●文 text by Suzuki Tatsuro
  • photo by Getty Images

 だが、2011年の夏に渡ったイングランドでは、思うような出場機会を得ることができなかった。アーセナルでは、もっぱらU-23のリザーブリーグに招集され、プレミアリーグでの出場は、ケガも重なり、4年間通算でわずか471分にとどまった。

 2015-16シーズンにはウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンにレンタルに出されてしまうが、そこでも思うように出場機会を掴むことはなかった。英国人トニー・ピュリス監督の好みには合わず、わずか1試合の出場にとどまった。

 キャリアの上では大きな成功を収めることができなかったものの、アーセナルでの4年間に後悔はない。「イングランドで過ごした時間は、僕を磨き上げてくれた。もし、人生をやり直せるとしても、同じ決断をするだろうね」と、当時アーセナルに所属していたルーカス・ポドルスキ、メスト・エジル、ペア・メルテザッカーらドイツ代表選手たちの支援にも感謝を述べている。

 転機は、2016年のリオデジャネイロ五輪だ。「あの大会は、自分のキャリアのなかで最も重要な出来事だった。あそこですべてが一変した。ただ、あの時はリオ五輪に参加するか、アーセナルでプレシーズンに帯同すべきか、僕自身でも決めかねていたんだ」とニャブリは振り返る。

 ギリギリまで迷ったものの、28年ぶりにオリンピック出場を果たしたドイツ代表のアタッカーとして帯同することを決断。本大会では、6試合でチーム最多タイの6得点を決める大活躍。これまでドイツ国内で"消えた存在"だったニャブリに、日を追うごとに注目が集まっていった。

 この活躍に素早く反応し、500万ユーロ(約6億円)のオファーを出したのはブレーメンだった。「資金に余裕がないブレーメンの、どこにそんな金があったのか」と驚く声も聞こえた移籍の背景には、バイエルンが動いていたようだ。

 アーセナルの監督としてニャブリ残留の説得にあたっていたベンゲルは、カタールメディアの『ビーイン・スポーツ』に当時のことを振り返ってこう話していた。

「ニャブリがブレーメンに行けるように、バイエルンが背後で動いていたようだ。ブレーメンに移籍すれば、バイエルンがさらに高額で買い取ることで話を進めていたんだ」