遠藤保仁タイプ。70年代欧州サッカー、忘れられない孤高の天才がいる

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by AFLO

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スポルティーバ・新旧サッカースター列伝 第3回

サッカーのスーパースターの中には、その才能をいかんなく発揮しながら、タイトルに恵まれなかった悲運の選手たちがいる。サッカースターやレジェンドプレーヤーの逸話をつなぎながら、その背景にある技術、戦術、社会、文化を探っていく連載。第3回は1970年代の名プレーメーカー、ギュンター・ネッツァーを紹介する。

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70年代のアイコン

「あれ、そんなに大きくないんだな」と、本人を見た時に思った。たしか、ポルトガルで開催されたユーロ2004の時だったと記憶している。

 ギュンター・ネッツァーはもっと大男だと勝手に思っていたのだ。1970年代の名プレーメーカーだった。ブロンドの長髪をなびかせて、フィールド全体を仕切っていた。

1972年のヨーロッパ選手権を制したネッツァー(写真右)とベッケンバウアー(同左)1972年のヨーロッパ選手権を制したネッツァー(写真右)とベッケンバウアー(同左)「簡単なプレーと難しいプレーがあるなら、僕は難しいほうを選ぶ」

 のちにロベルト・バッジョが同じことを言っていたが、ネッツァーも繊細でどこか儚いイメージがある。悲劇的なヒーロー。シューズのサイズは30センチあり、ボールにカーブをかけるためにさらに大きいものを履いていたという。

 走るフォームは豪快で、中盤を一気に通過していくドリブルは鉈でぶった切るような迫力があった。ロングパスの名手、40メートルを無回転で飛ばして受け手のところでストンと落ちるようなボールを蹴れた。ガラス細工のようでありながら、スケールの大きな司令塔で、何となく大きな選手というイメージだったのだ。

 178センチは当時としては長身の部類だが、少し猫背で、実際見るとそんなに大きくもなく威圧感もなかった。ボルシアMGのスタッフとしてネッツァーを間近で見ていた、ブンデスリーガの解説でお馴染みの鈴木良平さんは、「後ろ姿に孤独が滲み出ていて、それがまた誰よりも似合っていた」と話していたが、たしかにそういう印象である。

 ボルシアMGが来日した時、ネッツァーはチームメートと銀座を観光している。その時に通りかかった小学生がかぶっていた黄色い帽子に興味があったらしく、すれ違いざまにヒョイと取り上げ、そのまま自分が被って行ってしまったそうだ。孤高の天才というより、お茶目な変人みたいなエピソードだが。

 ネッツァーは西ドイツのスーパースターだった。最新のスポーツカーに乗り、「恋人たちの小径」という名のナイトクラブを経営していた。わかりやすくオシャレな、若者世代のアイコンである。

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