J復帰を望んでいたリージョ元神戸監督。
好オファーが届かず中国へ

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by SportsPressJP/AFLO

「トレーニングで、選手はガツガツできるようになってきた。練習から、怖さを与えられる選手でなければならない。ただ、動けばいいというものでもないだろう。たとえばナオ(藤田直之)は、日本人ボランチにありがちだが、いつもボールを獲ろうと、すべてに食いついていた。しかし、ポジションを守ることを覚え、落ち着いてプレーできるようになった。ポジションの意識が高まったことで、正しいプレーを覚え、レベルアップできているんだ」

 神戸を率いて1年目、リージョはそう語っていた。適切なポジションを取って、アドバンテージを得られたら、そのあとは、よりよいプレーが生まれる確率も高くなる。一事が万事、論理的でありながら、天才的思考に基づいたサッカーなのだ。

 神戸の監督時代、筆者はリージョに、新加入のセルジ・サンペールの起用に関して疑問を呈したことがあった。サンペールは試合勘の欠如が著しく、守備面での対応で簡単に背後を取られ、自陣で危険なパスカットをされていた。味方にとって、地雷のような存在になっていた。

 しかし、リージョは折れなかった。

「セルジには、余人には出せないパスセンスがある。必ずチームにフィットさせる。思った以上には適応している。心配するな、厳しくは言っているから」

 サンペールはそもそも、リージョが求めた選手ではない。1年目のシーズンが終わり、日本人MFに手ごたえを感じており、放出の決定に憤慨していた。しかしリージョは手元に置いた選手に関し、どんな私情もはさまなかった。ピッチで戦えるか。それがすべてだった。

 リージョがチームを去ることを告げたとき、サンペールは子供のように泣きじゃくっていたという。期待の裏返しで、ケツをひっぱたくような指導だった。たった1、2カ月で、それだけの信頼関係を築いたのだ。

 リージョのサッカーへの知性と情熱が、選手を感化させてきた。その指導を受けた山口蛍、西大伍は日本代表に復帰。控えに回っていた選手も「サッカーがうまくなっている」と嬉々として語っていた。多くのスタッフも心酔していたからこそ、その"辞任"にクラブが一時、騒然になった。

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