ポルト移籍の中島翔哉の未来に、ポルトガル人記者が太鼓判 (2ページ目)

  • ジョゼ・カルロス・フレイタス●文 text by Jose Carlos Freitas
  • 竹澤 哲●翻訳 translation by Takezawa Satoshi

 中島はわずか数カ月間で、それまで田中順也が持っていたポルトガルリーグ日本人最多得点記録を破った。田中順也は2014-15年シーズンから1年半、スポルティングでプレーして、35試合に出場して7得点を決めている。

 ポルティモネンセ1年目にすばらしい活躍を見せた中島翔哉には、当然ながら多数のオファーが寄せられた。クラブはなんとかそれらのオファーを断り、中島を留まらせることができた。

 2シーズン目、中島はさらに大きなことをやってのけた。

 2018年10月、ポルティモネンセは強豪スポルティングを相手に4-2で勝利するが、そのうちの2得点が中島によるものだった。このことはポルトガルでは大ニュースとなり、『ショウヤ・ナカジマはスポルティングのジョゼ・ペゼイロ監督の死刑執行人のひとりとなった』とまで表現された。実際、その翌月、ジョゼ・ペゼイロ監督は解任されている。

 さらにその数カ月後、再びナカジマの名が新聞紙面トップに踊ることになる。ポルティモネンセが何とベンフィカを相手に2-0で勝利するというサプライズを起こしたからだ。中島は得点を決めてはいないものの、2点目に決定的な役割を果たしたことで、高い評価を受けた。翌日、ベンフィカのルイ・ヴィトリア監督は更迭されている。

 興味深いことに、この試合が中島にとってポルティモネンセ最後の試合となる。2019年2月中島はカタールのアル・ドゥハイルに移籍するが、それに関しては、同クラブ監督である、ジョゼ・モウリーニョの元アシスタントであった、ルイ・ファリア監督の強い要望があったとされる。

 しかしまもなく、カタールリーグのレベルの低さなどを不満に感じていた中島のもとに、ポルトガルリーグからのオファーが届く。しかも、今回のオファーはポルトとベンフィカというビッグクラブからのものだった。

 2019年7月5日、ポルトの入団が発表された。その入団会見の席上、ピント・ダ・コスタ会長は次のように話している。

「中島を奪おうとしていたワシ(ベンフィカの愛称)の存在があった。しかし中島自身のここでやりたいという気持ちが、最終的に決定する要因となった」

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