本田圭佑からもらった金言を胸に、元川崎のDF井川は香港で奮闘する (2ページ目)

  • 井川洋一●取材・文 text by Igawa Yoichi
  • photo by Getty Images

――契約書は英語と中国語だと思いますが、それもご自身で?

「もちろん、そうです。2017年12月に半年契約を結んだのが最初ですけど、交渉も契約書もすべて英語なので、やっぱり大変でしたね。それでも文面は、時間をかければ理解できました」

――その半年後の昨夏に契約を延長したんですね?

「新たに1年間の契約を結びました。でもそこに50%のアピアランスレートの条文があったので、なくしてほしいと交渉したんですが、クラブ側は『これを含めないかぎり契約は結べない』と。『君は昨季も試合にたくさん出ていたから、大丈夫だよ』と担当者の方が言ってくれたこともあり、サインをしました。香港でプレーを続けたかったですから」

――ところが、その条文がモノを言うことになってしまった。

「その条文には『1月29日までのアピアランスレート』としか書いていなくて、出場試合数は半分をクリアしていたんですけど、出場時間は49.1%くらいだったため、そっちが優先されて。しかも、負傷中は計算に入れないと明記されているのに、実際にはケガで離脱していた頃も計算に含まれていたんです。

 あとから聞いたところによると、昨年12月上旬にクラブの体制がガラッと変わったそうなので、その煽りを受けたのかもしれません。僕とは契約を切りながらも、当初のサラリーは保証してくれることになったし、後釜の外国人選手も獲っていない。そのうえチームにはケガ人が多くて、CBが足りていない状況でした。つまり、彼らのメリットが見出せない。そこまでして僕を切る理由はなんだったのか、今もわかりません」

――まさしく"寝耳に水"ですね。その通達があったのはいつでしたか?

「1月23日の21時ごろです。移籍市場が29日に閉まるので、そこから移籍先を探すにも、5日くらいしかなかった。移籍市場は12月初頭から開いているので、『もっと早く言ってくれてもよかったのに』と思いましたよ。でも相手は『もう決まったことだ』と繰り返すだけなので、金銭面の交渉が済んだあとは次のことを考えるようになりました」

――最後に試合に出たのは12月上旬ですよね。その後はどう生活しているのですか?

「コンディションを維持するために、毎日、ジムでトレーニングしています。ときどき、こっちの日本人チームに混ぜてもらったり、子供を指導したり。今後も香港でプレーしたいと思っています。若い頃から、僕は20年間キャリアを積みたかったのですが、そこまであと2年。香港でそれを達成したいですね」

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