CLの常連・シャフタールのオーナーは、トランプともプーチンとも縁がある (3ページ目)

  • ジェームス・モンタギュー●取材・文 text by James Montague 井川洋一●訳 translation by Yoichi Igawa

 ヤヌコビッチは若い頃に暴力事件で刑務所に入ったことのあるチンピラだったが、政界でのし上がると、大掛かりな得票操作によって2004年の大統領選に一度は勝利。しかしウクライナ国内では、投票に不正が働いたとして「オレンジ革命」と呼ばれる反体制運動が起こり、決選投票のやり直しによってヤヌコビッチは敗れた。

 これによってヤヌコビッチの政治生命は終焉に向かうと思われた。しかし、アメリカの政治コンサルタント、ポール・マナフォートのアドバイスと、アフメトフの資金援助により、2010年の大統領選で衝撃的なカムバックを果たした。アフメトフとマナフォートは「友達」と呼び合う仲で、のちに一緒に写真に収まっている。

 マナフォートは2016年に、アメリカ大統領選でトランプのチーフアドバイザーを務めたが、ウクライナでの政治顧問として得た報酬額を偽って申告していたことが問題視されて辞任。米大統領選でロシアがトランプ陣営に肩入れしたとされる「ロシア共謀容疑」に関わっていた疑いも浮上するなど、18もの罪状で起訴された。

 一方のアフメトフは、ウクライナの国会議員となった。彼に対する汚職容疑はまだ晴れていないが、立場上、刑の執行は免除されることになったのである。ウェブサイト『ウィキリークス』が明かしたところによると、2006年にキエフのアメリカ大使館で、当時のユリア・ティモシェンコ大統領──オレンジ革命の顔だった女性指導者──が、アフメトフが初めて国会でスピーチした時のことを次のように回想したという。

「アフメトフがドネツクで人気があるのは、"地元出身の少年の愛国心"によるものだが、この国の他の地域では犯罪者と見なされている。ルハンスクやクリミアなど、彼の政党を支持する人の多いエリアでさえそうだ。つまり多くの人々にとって、アフメトフは"良き代弁者"ではなく、"国会議員になった重犯罪者"なのである」

 のちにティモシェンコはヤヌコビッチの差し金により、ロシアとの天然ガスの取引に汚職があったとされて投獄された。刑務所では拷問や暴行を受けていた可能性が高く、それを知ったウクライナ西部の人々の多くは、ポーランドと共催したEURO2012に興味を失ったという。

 その後、民衆の怒りが沸点に達する出来事があった。

 2013年にウクライナが欧州連合(EU)との政治・貿易協定の仮調印を済ませると、怒り狂ったウラジーミル・プーチン大統領は"仲間"であったヤヌコビッチにそれを覆すように圧力をかけた。ヤヌコビッチがこれに従うと、キエフでは大きな反対デモが起こった。

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