2018.11.18

ストイコビッチからジャカとシャキリまで。
コソボ紛争をサッカーから理解する

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by Jiji Photo

 そこからが、新しい取材のスタートだった。世界の悪者にされたストイコビッチ率いるユーゴ代表の98年フランスW杯を追っていくと、期を同じくしてセルビア内でコソボ紛争が激化した。内戦状態のコソボに分け入り、対立するセルビアとアルバニアのそれぞれ支配地を何度も往還した。コソボでは多数派のアルバニア人選手たちが、ユーゴ代表でのプレーをボイコットしていた。

1999年6月、KLAの解放区マレーシャボ。戦死した司令官の追悼式。当時テロリストと言われたKLA兵士が現在のコソボ政府の閣僚である photo by Kimura Yukihiko

 1999年3月、NATO軍によるユーゴ空爆が始まる。米国が主導して国連を迂回して行われたこの軍事行動は在ベオグラードの日本大使館でさえ「不当な攻撃である」と霞ヶ関の本省に公電を送るほどその大義に疑問符が付けられるものであったが、それを指摘するメディアはほとんどいなかった。セルビアは世界で孤立していた。ストイコビッチがヴィッセル神戸戦でアシストを決めた後に「NATO STOP STRIKES」(NATOは空爆を止めろ)と記したTシャツをさらしたのはこのとき(3月27日)である。ストイコビッチはコソボで兵役を過ごしており、その複雑な背景を当事者として知る立場にあった。

 戦闘機の出撃回数のべ3万5219回という激しい空爆の結果、セルビア治安部隊が撤退して、コソボはアメリカ政府の後押しで独立への道に進んでいく。そして今度はそこに暮らす非アルバニア人の少数民族が迫害を受ける。

 20年前、今ほどの出版不況ではないにせよ、どこの雑誌も載せてくれないようなこんなレアなテーマの記事を週刊青年漫画誌の『ヤングジャンプ』が連載させてくれた。(人気アンケートでは見事に毎回最下位だった。1位は『サラリーマン金太郎』)