岡崎慎司もオーナーを追悼。「同じアジア人として尊敬できた」 (3ページ目)

  • 田嶋コウスケ●取材・文 text by Tajima Kosuke
  • photo by Getty Images

 あの悲惨な事故から2週間──。11月10日に行なわれたバーンリー戦は、さながらメモリアルゲームのようだった。

 試合前にはサポーターが、市内中心部から本拠地キングパワー・スタジアムまで追悼パレードを実施。事故現場から隣接する場所に設置された記帳台と献花場まで足を運び、沈痛な面持ちで冥福を祈った。スタジアム内でも、事故後にサポーターが捧げたユニフォームとマフラーが、ピッチを取り囲むようにぎっしりと並べられ、ヴィチャイ氏の突然の死を悼んだ。

 また、バーンリー戦の来場者全員には、マフラーと追悼本が無料配布された。「ずっと我々の心の中に──」。マフラーに刻まれたメッセージが、レスターの街から沸き上がる心の声を代弁しているようだった。実際、バーンリー戦での記者席の周りでも、涙を拭うクラブスタッフやサポーターの姿があった。

 そんなバーンリー戦で、岡崎は途中出場を果たした。0-0で迎えた後半39分から出場すると、4-2-3-1のトップ下に入った。投入直後から積極的に相手とボールを追いかけると、後半43分にFWジェイミー・バーディーへのスルーパスで好機を演出した。

 そして、最大のチャンスは後半アディショナルタイムに訪れた。左サイドからクロスボールが入ると、岡崎がヘディングシュート。しかし、わずかにゴール左上に逸れ、0-0のまま試合終了のホイッスルを聞いた。得点機を逃した岡崎は、「あれを決めていれば、一生残るようなゴールだったと思うんですけど。僕ではなかった......」と唇を噛んだ。

 囲み取材の最後に、筆者はこんな質問をぶつけてみた。「オーナーからかけられた言葉で心に残っているものは?」。岡崎は答える。

「かけられた言葉というよりは、もう笑顔ですね。みんなが言っていると思うんですけど、あの笑顔が、みんなから愛される理由かな」

 満面の笑みとともに、レスター・シティと街を見守り続けたヴィチャイ氏。その彼は、もういない──。

 岡崎は「ヴィチャイさんが作ったものを、自分たちがまた形にしていかないと。そういう意味では、今日のこの大きなセレモニーが、そのきっかけになったらすごくいいなと思います」と力を込めていた。

3 / 3

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る