2003年、アブラモビッチがチェルシーを買収した本当の理由 (2ページ目)

  • ジェームス・モンターギュ●取材・文 text by James Montague 井川洋一●訳 translation by Yoichi Igawa

 1982年に当時2部のチェルシーをたったの1ポンドで買ったケン・ベイツ元会長は、クラブの近代化を推し進めてきたが、2003年には負債が膨らんで多額の返済に窮していた。そこに現れたアブラモビッチは、チェルシーの元CEOトレバー・バーチによると、「ものの15分で」買収の契約をまとめたという(訳者注:BBCによると買収額は1億4000万ポンド=当時の為替レートで約276億円)。

 1966年にボルガ川流域のサラトフで、ユダヤ系の家庭に生を受けたアブラモビッチは、恵まれない幼少期を過ごした。3歳のときに孤児となり、その後は親戚の家で育てられ、モスクワの祖母のもとに落ち着いた。エンジニアリングを学んだ後(ただし卒業を証明するものは存在しない)、ロシア陸軍に入隊した。

 アブラモビッチが陸軍を除隊した1986年、世界は激動のさなかにあった。ソ連のミハイル・ゴルバチョフ大統領が「グラスノスチ(情報公開)」と「ペレストロイカ(政治経済の再構築)」を掲げ、行き詰まったソ連に改革を起こそうとしていた頃だ。

 この動乱のなか、アブラモビッチは謙虚で愛らしい笑顔をもってうまく立ち回り、複数のビジネスの機会を得た。モスクワのアパートで作っていたゴム製のアヒルのおもちゃがヒットし、飛躍の足がかりとなる財を築いたという。

 そして1991年にソ連が崩壊すると、野心高き実業家は、壮大で時に物騒なビジネスに進出した。ロシアが潤沢に備える天然資源、原油の輸出に携わり始めたのである。オイル業界は危険をはらんでいたものの、特大の実りをもたらすこともわかっていた。

 1993年、ロシア実業界で名前を知られ始めていたアブラモビッチは、ソ連崩壊後のロシアのトップビジネスマンたちが集う、カリブ海でのヨット会合に誘われた。そこで、ソ連産の自動車の輸出などで財を成した数学の天才、ボリス・ベレゾフスキーと出会った。

 すぐに意気投合した2人は、その運命の日にビジネスパートナーとなることを誓い合い、自分たちがひとつの会社を設立し、そのもとで原油の抽出と精製を担う複数の企業をグループ化して統括することを決めた。

 これは、今となっては悪名高い「分配のためのローン(Loans for Shares)」プログラムによるものだ。ロシアの初代大統領ボリス・エリツィンが、自由市場への痛みの伴う改革を強行するために採用したものだった。

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