試合中、ぼんやり歩いていたメッシ。アルゼンチンの限界を世界が見た (3ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • photo by Mutsu Kawamori/MUTSUFOTOGRAFIA

 モドリッチが「最も危険な選手であるメッシにボールが渡らないよう分断した」と戦術的狙いを語っていたように、確かにクロアチアは特に先制後の時間で、縦パスのコースを切り、アルゼンチンの攻撃を手詰まりにさせてはいた。

 だとしても、メッシはあまりに無策だった。自分が出場している試合を、まるで他人事のように眺めている時間があまりに長かった。

「チームの現実によって、レオの輝きが曇ってしまう。チームが理想的な形で彼と融合できていないために、レオの能力は限定的にしか発揮できない。監督として、私にはそれ(メッシとチームの融合)を実現させる責任がある」

 サンパオリ監督はそう語り、あくまでもメッシを擁護した。

 もちろん、メッシがメッシとして、バルセロナ同様の活躍を見せられないのは、アルゼンチンというチームに主な原因があるのだろう。サンパオリ監督も「私が別のゲームプランを用意できれば、結果はずっとよくなっていたかもしれない」と語り、敗戦の責任を一手に引き受ける。

 それでも、この試合に関して言えば、ことの責任がチーム側だけにあるとは思えない。そもそもが、アルゼンチンはメッシのチームである。それを理解したうえで、周りの選手がメッシを生かそうと、出来が悪いなりにも懸命に走り、パスをつないだところで、当のメッシに覇気が感じられないのでは、"戦術"が機能するはずもなかった。

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