愛された2人。中村俊輔、森本貴幸は今も南イタリアの人々の心に残る (4ページ目)

  • 利根川晶子●文 text by Tonegawa Akiko photo by Sino/Football Press

 2006年にイタリアに来た日本人選手は大黒だけではない。シチリア島のカターニャには未来を嘱望された17歳の若者、森本貴幸がやってきた。

 イタリアサッカーに慣れるため、半年ほどユースチームで修行をしたのち、2007年の1月、満を持してアウェーのアタランタ戦でデビュー。83分にピッチに入ると、88分にはセリエA初ゴールを決めてみせた。

「遠征先のベルガモからシチリアに戻って来た森本は、一夜にして英雄になっていた。カターニャの人々は数少ない日本語の知識を駆使して彼を『バンザイ』というニックネームで呼んだり、森本の名前がイタリア語のマリモート(津波)に似ているので、そう呼んだりもしたよ。"日出ずる国のインザーギ"なんて呼び名もあったね」

 しかし幸運はそう長くは続かなかった。森本はデビュー1カ月後に十字靭帯を痛め、そのシーズンを終えることになってしまった。それでもカターニャは彼の才能を信じて正式に契約を交わす。

「賢明な選択だったね。森本はケガから復帰すると、信頼に応えて重要なゴールをいくつも決めるようになったんだ。ローマ戦の2ゴール、ユベントス戦のゴール、そしてカターニャサポーターが最も憎むパレルモ相手のシチリアダービーでのゴール。多くのサポーターがこの素朴な青年を愛した」

 森本は2011~12シーズンにノヴァーラにレンタルされるが、その後カターニャに復帰し、合計6年半をイタリアで過ごした。当時の監督ヴァルテル・ゼンガも森本を高く評価し、のちに中東のアル・ナスルを率いた際に彼を呼んでいる。

「現在カターニャはセリエCにまで落ちてしまっている。いまだに多くのカターニャサポーターが、セリエAで活躍していた時代とともに森本のことを覚え、懐かしく思っているよ」
(つづく)

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