セリエAから消えた日本人。カズに始まり、中田英寿が道を切り開いた (2ページ目)

  • 利根川晶子●文 text by Tonegawa Akiko photo by Giglio/Football Press

 当時のジェノアの監督フランコ・スコーリオ(数年前にテレビの生放送出演中に亡くなった)は、三浦が誰か知らなかったし、どんなことができるのかも知らなかった。でもとにかく三浦が出場するたびに金が入るのだから、会長は毎回、彼を使うように監督に強制したんだよ」

 残念ながら当時のイタリアでは"日本=お金"という図式ができあがっていた。日本はJリーグが開幕し、サッカーバブルの真っ最中。ジーコ、ガリー・リネカーといった、少しピークは過ぎた名のあるプレーヤーを次々と招聘する様子は、ちょうど現在の"爆買い"中国サッカーと同じような目で見られていたのだろう。

 結局、カズは21試合出場、1ゴールという成績を残してイタリアを去った。ただしこの唯一のゴールは同じ町に本拠地を置くサンプドリアとのダービーマッチという、重要な一戦でのゴールであった。

「最初の日本人選手カズのことは、今でも多くのイタリア人が覚えているよ。その証拠に、彼が50歳でいまだに現役を続け、それどころか契約の更新までしたことは、イタリアでも驚きをもって報道されているからね」

 カズがジェノアを去ってから3年後の1998年、再びイタリアにやって来た日本人がいた。中田英寿だ。ここからセリエAでの日本選手の20年にわたる歴史が始まる。

「中田を獲得したのは当時のもうひとりの狡猾な会長、ルチアーノ・ガウッチだった。彼は350万ドル(当時のレートで約4億5000万円)を払ってベルマーレ平塚から中田英寿をペルージャに招聘した。中田の名前も知らず、ガウッチの性格をよく知っていたペルージャサポーターは、どうせまたスポンサーの金目当てだろうと鼻白(はなじろ)んだものだよ」

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