日本人選手がプロを目指すクラブ、ドイツ8部のバサラマインツとは? (4ページ目)

  • 中田徹●取材・文 text by Nakata Toru
  • photo by FC Basara Mainz, Nakata Toru

 北陸大のコーチにドイツ留学経験のある坂川翔太(現アスルクラロ沼津コーチ)がいた。坂川の口癖は、「サッカーはパッション(情熱)とロジック(論理)」だった。

「日本にいるときは『何を言ってるんだ?』と思ってたんですけれど、ドイツに来てから坂川コーチの言ってたことがちょっとわかってきたと感じてます。チャンピオンズリーグでバイエルンとドルトムントが決勝戦を戦ったり、ワールドカップでドイツが勝ったことで、『ドイツに来れば戦術が勉強できるのかな』と思ってましたが、やっぱり『戦う気持ち』と『1対1』がドイツはすごかった。それができてからの"戦術"だと感じてます。それを指導者として日本に持ち帰りたい」(石井)

 奥田裕也(25歳)は19歳でドイツに渡ってから、モンテネグロ、オーストリア、そしてドイツへと戻り、25歳にしてバサラマインツが8つ目のクラブである。バサラマインツの設立趣旨を思えば、キャリアの長い奥田の存在は異色だ。

 奥田のキレのあるドリブルはひと目で「違う」と感じさせるほど、8部リーグの試合で抜きん出ていた。彼もまた、"やり残した感"を抱えて日本を飛び出した選手だった。

 もともとはサガン鳥栖のユース出身。トップ昇格はならなかったが、九州内の大学ならサガンのルートで行くことができた。だが、「プロになるなら関東大学リーグでやったほうがいいだろう」と思った奥田は一般受験でも体育会に入れてくれる強豪校を探し、現役で合格した。しかし、大学のサッカー部に入部したものの、試合には出ることができなかった。

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