W杯で対決か。香川真司とレバンドフスキ、2人の7年後を分けたもの (3ページ目)

  • 了戒美子●文 text by Ryokai Yoshiko photo by AFLO

 一方の香川は31試合で13得点。ストライカーではなく2列目の起用でこれだけの結果を残したことがアレックス・ファーガソンに評価され、シーズン終了後にマンチェスター・ユナイテッド移籍を果たす。ドイツ杯決勝バイエルン戦の先制ゴールなど、印象に残るゴールも多い1年だった。

 このシーズンのレバンドフスキは、1年目に比べて技術レベルやシュートの精度を一気に上げたのが誰の目にも明らかだった。それが結果につながっているのだが、もともと盛っていた高い技術に、うまさだけではなく、強引さが加わっていた。何がなんでも自分が得点する。そんな気合いは周囲にも伝わり、プレースタイルは変化していった。

 香川は他のチームメイト同様、レバンドフスキを「レヴィ」と呼ぶ。そして当時はよく、半分冗談、半分愚痴のように「レヴィが自分でやっちゃうから......」と言っていた。取材後の雑談や、くだけた雰囲気の中で発せられる言葉だったのだが、それを日本のメディアが取り上げた。すると、今度はそれをドイツ最大の発行部数を誇る大衆紙ビルトが翻訳して掲載。「香川がレバンドフスキを批判」と大きな話題になった。

 慌てたドルトムントはビルト紙に香川の独占インタビューをさせることで、弁明の機会が設けられた。別に香川とレバンドフスキの間に遺恨があるわけではなく、よくあるゴシップにすぎないのだが、それでも当時の香川、レバンドフスキ、そしてドルトムントというクラブへの注目度の高さを感じたものだ。

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