イタリア敗退は番狂わせじゃない。いずれ露見するはずだった才能の枯渇 (4ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • 中島大介●写真 photo by Nakashima Daisuke

 そこでイタリアの致命的な課題として痛感するのが、タレントの枯渇である。

 イタリアの代名詞といえばカテナチオ、つまりは堅守である。時代ごとに守り方の差はあれど、相手の長所を消して自分たちのペースに引きずり込む守備戦術は、イタリア伝統の業(わざ)だった。

 しかし、イタリアの強さの秘密はそれだけではなかった。イタリアにはいつの時代も、攻撃にアクセントをつけられる特別な選手がいた。この20年ほどの間でいえば、ロベルト・バッジョ、アレッサンドロ・デルピエロ、フランチェスコ・トッティ、アンドレア・ピルロといった面々だ。

 また、ジュゼッペ・シニョーリ、クリスティアン・ビエリ、フィリッポ・インザーギといった苦しい場面で頼れる点取り屋もいた。

 ところが、今のイタリアには、そうした"何かやってくれそうな選手"がいなくなった。精力的に走り回り、バイプレーヤーとして優れた働きをする選手はいても、特に攻撃面で主役になれる選手がいない。図らずもそれが明白になったのが、プレーオフ第2戦だった。イタリアは一方的に攻めているようでいて、実は何も起こせなかった。

 W杯出場を逃したことで、イタリアでは現在、ジャンピエロ・ヴェントゥーラ監督への批判と、次期監督選びの声がかまびすしい。しかし、誰かひとりに責任を押しつけようと、次の監督が誰になろうと、抱える問題が根本的に解決されるわけではない。

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