バルサは「国家の代理」。カタルーニャ独立運動で示した巨大な影響力 (2ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper 森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 それは、カタルーニャの人々には投票する権利があるということ。マドリードの中央政府は、この住民投票を「違憲」としていた。

 もしカタルーニャが独立を達成したなら、バルサが及ぼした影響力は非常に大きなものになるはずだ。

 FCバルセロナは1899年に創設されて以来、「カタルーニャにはスペインとは別のアイデンティティーがある」とするカタルーニャ主義の象徴だった。作家のマヌエル・バスケス・モンタルバンはバルサを「カタルーニャの武装していない軍隊」と呼んだ。

 1919年から、バルサは自治権を求めるカタルーニャの主張に何度も支持を表明した。1920年代には、スペインの独裁者ミゲル・プリモ・デ・リベラに反対するデモで、カタルーニャの人々がバルサの青と赤の旗を振った。
 
 1960年代後半、フランシスコ・フランコ将軍の独裁に陰りが見えはじめると、バルサの本拠カンプノウでは、政府に禁止されていたカタルーニャの旗が掲げられ、カタルーニャ語も聞かれるようになった。そしてバルサが象徴するカタルーニャ主義は、フランコ亡き後のスペインで、過去40年余りにわたって力を持ちつづけた。

 バルサの理事の大半は、バルセロナに住む裕福なカタルーニャ人から選ばれる。理事会はたいてい、カタルーニャ語で行なわれている(多国籍な選手が使うロッカールームの共通語はスペイン語だが)。

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