「ウッシー、腱がないじゃん」状態からの復活。内田篤人、激動の7年 (2ページ目)

  • 了戒美子●文 text by Ryokai Yoshiko photo by picture alliance/AFLO

 このシーズンはそのまま無事に終えることができ、チームは4位に。ブラジルW杯まであと1年となり、代表戦にも気合が入っていた。

 翌2013~14シーズンのシャルケは、ケラー監督が職責を全うした。内田がシャルケに入団して初めて、1シーズンを1人の監督で戦ったことになる。順調そのものだった内田が悲劇に襲われたのは2月9日のハノーファー戦だった。この試合も内田は好調で、1アシストを記録。だが、好調ゆえに飛ばしすぎたのかもしれない。2-0とリードし、すでに交代枠も使い切った試合終了間際、内田はムダにも見えたドリブルで突っかけ、相手との接触もないまま倒れ込んだ。

 当初は本人も、2011年の秋から何度か負傷している右太もも裏のケガだと発言していたが、実は右膝裏の腱が断裂したのだった。

「チームのやつらが『ウッシー、ここ、ないじゃん』って触るの。あ、ホントだホントだって、みんなが触ってきて、すげー痛いんだけど」

 そのように翌日の練習場での様子を面白おかしく話していたが、ケガは重傷だった。

 シャルケ側の診断は、手術、そしてW杯回避だった。だが、内田は何としてもW杯に出たかった。それは手術の回避を意味する。結局はクラブも内田の意向を尊重、負傷から5日後の2月14日には日本に帰国し、代表チームのドクターと治療方針を確認し合った。

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