内田篤人とシャルケ、相思相愛の7年間。退団セレモニーは盛大だった (2ページ目)

  • 了戒美子●文 text by Ryokai Yoshiko photo by AFLO

 イベントでは、ベネディクト・ヘヴェデス(その後ユベントスに移籍)やマックス・マイヤーといった主力のドイツ代表組がコンフェデレーションズ杯に出場して合流が遅れたこともあるのかもしれないが、内田への声援が特に増しているように感じられた。

 新加入選手が増える中、シャルケでの8年目を迎えるレジェンドとして、内田はシャルケファンにとって大切な存在になっていた。また、マーチャンダイジングやSNS展開においても、復活を望まれていた。だからこそ、すでにシャルケの選手ではないにもかかわらず、ウェブ上では8月末になってもまだ内田の写真特集などが展開されていた。盛大に行なわれた退団セレモニーとともに、特別な存在だったことの証だろう。

 内田がシャルケに加入したのは2010年。南アフリカW杯では、日本代表の新世代の象徴として期待されながら出場機会を得られず、失意を振り払うにはちょうどいいシャルケ入団だった。現地での認識は、アジアから無名の22歳がやってきたという程度のものだったが、開幕戦に途中出場。その後は第2節で先発と、早々にチャンスをつかんだが、安定してレギュラーの座を掴んだのは第8節以降だった。

 当時、シャルケの監督は"鬼軍曹"として知られるフェリックス・マガトだった。内田が言うには、マガトの旧世代的なフィジカルトレーニングや根性至上主義が「合った」のだという。

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