内田篤人、ウニオン・ベルリン移籍。笑顔に隠されたウッシーの葛藤 (2ページ目)

  • 了戒美子●文 text by Ryokai Yoshiko photo by KYODO

 内田が、一時は不可能に思えたケガからの再起を果たしたのは、昨年12月8日、ヨーロッパリーグのザルツブルク戦だった。しかしこの一戦はすでに決勝トーナメント出場を決めた後の消化試合。ロスタイムを含めて10分程度の"ご褒美出場"だった。

 年が明けて1月、スペインでの合宿ではほぼフルメニューをこなし、練習試合でも45分間プレーした。ようやく実戦復帰が見えてきていた。マルクス・ヴァインツィール監督は、続くウィンターブレイク中の練習試合や、シーズンが再開したドイツ杯でもスタメン起用を試みた。だがいずれも、内田が別の箇所に細かな故障を負っていたため実現していない。

 結局、ヴァインツィール監督の意図とはタイミングが合わないままシーズンが終わったのは互いにとって不幸だった。練習でも主力組として考えられることはなく、内田の中に徐々に移籍願望が芽生えていった。

 ヴァインツィール監督が続投するのであれば、身の振り方を考えなくてはいけない。そんなイメージでオフを迎えた内田に、ある意味で朗報が届いた。ヴァインツィール監督から、内田と2歳しか年の違わないドメニコ・テデスコ監督への交代が発表された。少しは状況が変わるかもしれない、シャルケで実戦復帰し、ワールドカップを目指せるかもしれない。内田の中にはそんな希望が湧いた。

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