涙が止まらない...。シャペコエンセ、悲劇のストライカーに長男が誕生 (2ページ目)

  • 沢田啓明●文 text by Sawada Hiroaki photo by AP/AFLO

 前述のようにシャペコエンセは、ブラジル南西部の人口21万人のシャペコに本拠を置く地方クラブだ。1973年に地元のアマチュアクラブが合併して誕生したが、長いこと州や地方の大会に出場するだけの、ブラジルのどこにでもあるような弱小クラブだった。2000年代中盤には、負債が累積して破綻の危機に瀕したが、クラブ関係者が市、地元財界、市民に援助を訴えて再建に奔走し、辛うじて存続に成功する。

 以後、徐々に実力を蓄え、2009年にブラジルリーグ4部に参戦すると、わずか5年で1部まで駆け上がって「奇跡のクラブ」と呼ばれた。さらに、昨年は南米のカップ戦であるコパ・スダメリカーナ(欧州のヨーロッパリーグに相当する)で並みいる強豪を次々と撃破し、決勝まで勝ち上がった。

 しかし、クラブが創立以来最高の瞬間を迎えたまさにそのとき、世界のスポーツ史上でも類を見ない悲劇に見舞われる。11月28日深夜(日本時間29日午前)、コパ・スダメリカーナ決勝第1レグを戦うためコロンビアのメデジンへ向かっていたチャーター機が山岳地帯に墜落し、搭乗していた選手22人中19人、カイオ・ジュニオール監督(元ヴィッセル神戸)らコーチングスタッフ14人全員、さらにサンドロ・パラオーロ会長らクラブ関係者11人が死亡。その中のひとりが、公私両面で幸せの絶頂を迎えていたチアギーニョだった。

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