主将・酒井高徳も驚く、ハンブルガーの日系FWボビー・ウッドとは? (3ページ目)

  • 鈴木智貴●取材・文 text by Suzuki Toshiki
  • photo by Getty Images

 日本人の母とアメリカ人の父のもと、ハワイで生まれ、カリフォルニア州アーバインで育ったウッドは、2006年に偶然にもドイツへ行くきっかけを掴むことになる。当時、彼が所属していた地元クラブ、アーバイン・ストライカーズの監督が、1860ミュンヘンの育成部長と知り合いだったからだ。ハンブルガー・アーベントブラット紙とのインタビューで、ウッドはその時のことをこう回顧している。

「監督が、チームメイトのコヴァと僕の、10日間のドイツ行きを企画してくれて、ヨーロッパのサッカーがどんなものか体験することができたんだ。ちょうどワールドカップが行なわれた直後だった。そして僕たちは、こっち(1860ミュンヘン)の人たちに、『ドイツに残ってもいい』と言われたんだ。

 もちろん決して簡単な決断ではなかった。自分が生活していたところから時差が9時間もあるところに、いきなり引っ越すことになったんだからね。でも、僕はどうしてもドイツに残りたかったし、それを母も許可してくれた。僕もコヴァも、まずはミュンヘンに1年半だけいることが決まったんだ」

 友人と一緒で、ホストファミリーが住居と食事を提供してくれる環境ではあったが、当時のウッドはまだ14歳の少年。自分で選択した道とはいえ、言葉も文化も異なる異国の地での新生活は、少なからずストレスであったという。

「慣れるまでは難しかった。ドイツとアメリカはまるで世界が違うけれど、特にミュンヘンとカリフォルニアでは、まるで『別の惑星』のようだったから。説明するのは難しいけれど、とにかく何もかもが異なっていた。生まれ故郷のハワイにあったような海辺、カリフォルニアのような軽快な空気がなかったからね」

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