通訳なしで地元TV登場。すぐにオランダ化した小林祐希の凄い適応力 (4ページ目)

  • 中田徹●取材・文 text by Nakata Toru
  • photo by AFLO

「頭が疲れるときというのは、英語、オランダ語、いろんな言葉が耳に入ってきたとき。だから、自分からしゃべって他の奴の言葉を聞かないというふうに変えていけばいい。俺が(コーチングでチームメイトを)先に動かせば、俺が言われることはない。そこに気づいた。そうしたら、もう頭は疲れないですね。それを前の試合(ADOデン・ハーグ戦)ぐらいから試し始めてます」(PSV戦後の小林)

 1982年にハーレムへ加入した望月達也(現ヴァンフォーレ甲府ヘッドコーチ)以来、小林はオランダ1部リーグでプレーする「15人目の日本人選手」になる。これまで多くの日本人選手たちは、引き分けで喜ぶオランダ人のチームメイトやサポーターに対し、「勝てなかったのに悔しくないの?」と不思議がっていた。だが、小林はPSV戦後(1-1のドロー)、素直に引き分けを喜んでいた。

「だって、相手は2年連続のチャンピオンチームだもん。こんなにいい試合をして、俺らが勝つチャンスもあった。勝ち点1の重要性を、この国はわかっている。 前半はちょっと自信なさげにやっている選手もいたけれど、後半あれだけ盛り返した。『いいじゃん。次につながるじゃん』というマインド。俺はけっこう、そっち系のマインドだった。

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