バルセロナはなぜ「ワールドクラスでない」
GKを獲得したのか

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper 森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 クライフ派のGKはどこにでもいるわけではないから、グアルディオラはかつて率いたバルサからクラウディオ・ブラーボを獲得。そのためバルサは、クライフが深く関わったもうひとつのクラブであるアヤックスから、ブラーボの代わりとなる選手をとったというわけだ。

 シレッセンが生まれたのは、オランダ東部にあって、フットボールの伝統が色濃いグロースビークという小さな町だ。彼が育った家は、小さいけれど有名なアマチュアクラブ、デ・トレフェルスのまさに隣にあった。

 母のネリはオランダのニュースサイトの取材に、こう語っている。

「小さいときのヤスパーは、1時間に75分間分を生きているような子で、いつも走り回っていた。あの子の姿が見えなくなったら、遠くのほうで動き回っている小さな点を探せばよかった。5歳でクラブに入ると、ゴールを守りたいと言った。私はフィールドプレーヤーのほうがいいと思った。そのほうが、エネルギーを発散できそうだから。けれどヤスパーは、一度言い出したら聞かなかった」

 21歳のとき、シレッセンは地元のクラブ、NECナイメヘンでプロデビューを果たす。監督からスタメン起用を言い渡されたのは試合当日だったが、シレッセンは動じなかった。試合の前に昼寝をし、マン・オブ・ザ・マッチに選ばれ、副賞のシャンパンは家族に贈った。シレッセンは生まれてこのかた、アルコールを口にしたことがないと言う。夜の街に出かけることも、めったにない。

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