リオ五輪を覆う暗い影。ドーピング問題が解決不可能なわけ (2ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper 森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 その背景について、WADAの委員長をつとめたディック・パウンドはこう語った。「誰かを捕まえたい者はいない。そんなことをしても得にならないからだ。自国の選手が捕まったら、その国が恥をかく。ある競技の選手が捕まったら、その競技の関係者が恥をかく」

 ドーピングを行なうアスリートのほうが検査を実施する側より先を行っているということもある。ウクライナ人のユーリー・ビロノグは、2004年アテネ大会の砲丸投げで金メダルを獲得した。ビロノグがドーピングを行なっていたことを突き止めるには長い年月がかかった。もともと銀メダルだったアメリカ人のアダム・ネルソンが繰り上げによる金メダルをアトランタ空港のフードコートで受けたのは、2013年のことだ。

「汚れたヒーロー」という筋書きは、オリンピックの後日談として定番になった。ピルクが書いているように、アメリカの英雄カール・ルイスは1988年にジョンソンが行なったドーピングの「被害者」と思われていたが、「ソウル大会の前に薬物検査で3度にわたって陽性となっていたのに、出場を許されたことを2003年に認めた」という。

 勝者たちに対する疑惑は、リオデジャネイロで新たな局面を迎えるだろう。今大会には、ロシアの陸上チームが出場できない。2010~2015年にロシアが国家ぐるみでドーピングを隠蔽していたことがわかったためだ。

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