フィテッセ・太田宏介の基盤を作った
「都並」と「三浦淳」の言葉

  • 中田徹●取材・文 text by Nakata Toru  ルート・フースト●写真 photo by Ruud Voest

――3月上旬の試合後、「間違ってもいいから、英語をもっともっとしゃべっていかなきゃダメだと思ったら、だいぶコミュニケーションが取れるようになった」と言っていましたが、そのシェフのアドバイスも関係あったのでしょうか?

太田 ありましたね。そのシェフの方もお店を離れるときがあって、その際は別のコックに任せないといけないんだけれど、それでも同じ味を作らないといけない。その味を維持するためには、コミュニケーションは大事ですよね。その方からは、「料理の世界もサッカーの世界でも通ずるものがあって、コミュニケーションなくして絶対に成功しないから。語学を勉強するのは当然として、今、言葉がわからなければ、わからないなりのコミュニケーションの方法をしっかり考えて行動して」と話してもらいました。

 僕はオランダに来てから、「こうやって世界で戦っている日本人って、本当に多いんだな」と気づきました。同時に、「もっと頑張らないといけない。自分はまだ甘い」と見つめ直す機会にもなりました。

――サッカーの世界で「恩人」といえば、どなたですか?

太田 (熟考してから)今の自分があるのは、都並敏史さんと三浦淳寛さんのおかげだと思っています。もちろん、お世話になった方はたくさんいますけど、プレーの基盤はこのふたりに教わりました。

 高校を卒業し、横浜FCの1年目~2年目はクラブ事情でセンターバック(CB)をやることが多く、「俺、絶対にCBじゃないし、プロでこの先どうやっていくんだろう?」という葛藤があったとき、3年目に都並さんが監督になって、年間を通して左サイドバックとして使ってくれたんです。最初のキャンプで都並さんが、「お前、現役時代の俺にソックリだ。ポジション(左SB)もそうだけど、お前みたいな奴、めっちゃ好きだわ」と言ってくれたのを、今でも鮮明に覚えています。

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