クライフはオランダサッカーの時計を止めてしまった

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper  森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 つねにフットボールを改革しつづけたクライフだが、PKについてはむしろゴールを直接狙うことをほとんど考えていなかった。クライフのキックはとくに強烈なわけではなく、自分からPKを蹴ることはほとんどなかった。PKに対するオランダの「クライフ的」な苦手意識は、主要大会の出場を逃す大きな理由にもなった。

 おまけにクライフは、勝つことにも強い執着がなかった。監督としてベンチに座って試合を見ていると、ときどきスコアを忘れると彼は言った。ゲームの内容のほうに関心があったのだ。

 クライフはいつも、1974年のワールドカップの「真の」王者はオランダだと語っていた。なぜか。西ドイツが優勝したことなど誰も覚えていないが、サッカーファンは今でもあの大会の偉大なオランダ代表の話をするではないか......。

 それがクライフにとっての「勝利」だった。1998年のワールドカップでオランダは敗退したが、自分たちは最高のチームだったと胸を張った。この姿勢のために、オランダは多くの優勝カップを逃したことだろう。

 偉大な思想家が生涯を通じて偉大な思想家であることは、ほとんどない。1996年にバルセロナの監督を解任された後、クライフはフットボールについて深く考えることをやめた。クライフが母国に対して持っていた膨大な影響力(それを広めたのは、彼の代弁者となった取り巻きのジャーナリストたちだった)は、オランダにとって悪い方向に働きはじめる。

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