追悼ヨハン・クライフ。彼がいなかったらサッカーは違うものになっていた
戦術的な話もさることながら、哲学に迫る話に惹かれた。哲学者から聞かされたのならおそらく右から左へ素通りしていただろうが、およそ哲学者らしくないクライフから聞かされたところがポイントだった。すんなり染み入ってくるのだった。
2002年日韓共催W杯の抽選会の際、韓国で話をうかがった時は、オランダサッカーの話が中心になった。フース・ヒディンクが韓国代表監督として大会に臨むということで「オランダのサッカーをアジアに宣伝するいい機会になる」と述べた。オランダサッカーとは攻撃的サッカーである。時の欧州は、守備的サッカーと攻撃的サッカーが対立軸を形成していて、クライフは攻撃的サッカーの旗振り役で通っていた。
しかし哲学の話と同様、押しつけがましくはなかった。「イタリアのサッカーって、ほんと守備的で退屈だよね」と言いながらも、「あっ、これは僕がそう思っているだけだけれどね」と、100%同意を求めるわけではなかった。「僕はそう思うけど」「無理に付いてこようとしなくていいから」。たかがサッカー、されどサッカーではないが、変に深刻にならないライトな誘い口調が、耳に心地よく入ってきた記憶がある。
ほどなくして、守備的サッカーは衰退。世の中は攻撃的な時代になった。(トータルフットボール+プレッシングサッカー)÷2の時代を迎えた。だがそうした歴史的背景は、日本に情報として伝わっていない。サッカー史に疎い日本人は、思いのほか多くいる。
5 / 6