追悼ヨハン・クライフ。彼がいなかったらサッカーは違うものになっていた (3ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki photo by Getty Images

 名選手で名監督。しかも、クライフはただの名監督ではなかった。欧州で多くの監督に話を聞く中で、とりわけクライフの名前を出す人に多く出会った。影響を受けた人物として、である。クライフがバルセロナで実践したサッカーは、多くの指導者の心を動かしていた。

 もう少しベテランになると、74年西ドイツW杯で見せたオランダのサッカー。当時のアヤックスのサッカーを挙げた。時の監督はリナス・ミホルス。没後、20世紀最高の監督としてFIFAから表彰された“トータルフットボール”の生みの親だ。

「トータルフットボールはサッカー界最大の発明。それが出現する前と後で、サッカーの概念は180度変わった」とは、後に“プレッシングフットボール”を提唱したアリーゴ・サッキ(元ミラン、イタリア代表監督)の言葉だ。「プレッシングフットボールは、トータルフットボールからヒントを得たその延長上にあるものだ」ともサッキは述べている。

 リナス・ミホルスが提唱したトータルフットボールをバルサで実践したクライフ。その練習場である時期、僕はサッキの姿を何度か目撃したことがある。(トータルフットボール+プレッシングフットボール)÷2。現代サッカーがこの公式の上に成り立っているとすれば、クライフの存在価値はいっそう増す。

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