コリンチャンスに合格した「雑草ドリブラー」蒔田泰広とは何者か (2ページ目)

  • 栗田シメイ●文・撮影 text&photo by Kurita Shimei

 南米のトップクラブであるコリンチャンスでは、毎回100人を超えるブラジル人選手たちが入団テストに参加するという。だが、合格者が出るのは、稀(まれ)だ。にもかかわらず、蒔田は日本人という"ハンデ"がありながら、そのテストを突破。1次セレクションの際には、あるコーチによって、わずか30分間のプレーを見ただけで、チーム練習への合流を言い渡されている。さらに蒔田は、名門パルメイラスの入団テストでも合格寸前まで至っており、それらのことは、まさしく彼の実力の高さの証明と言えるだろう。

 蒔田は、中学校卒業と同時にブラジルへ渡った。中学校時代は、テクニックには定評があったものの、名門高校やJユースなどから声がかかることはなく、地域のトレセンにも選出されたことのない、無名の選手だった。

 蒔田が中学校時代に所属していたヘラクレス大磯Jrユース(神奈川県)の小林哲也代表は、当時の蒔田についてこう語る。

「もともとドリブルの技術は、秀でていました。対戦相手からネイマールをもじって『ヤスマール』と呼ばれるなど、そのプレースタイルは際立っていましたね。試合中にヒールリフトをしたりして、対戦相手の監督からは『まるでサーカスだね』と言われたこともありました。それで、全国レベルの高校と練習試合で対戦したときなどは、何度も削られていました。それでも、蒔田は自分スタイルを貫き通していました。そのため、守備の意識が低く、他にもいくつか欠点が目についたのは確かです。ゆえに、日本のチームからは声がかからなかったのかもしれません」

 しかし、ブラジルに渡ると蒔田の評価は真逆だった。小林代表が続ける。

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