隠居状態の名将ヒディンクがモウリーニョの後任を引き受けた理由 (2ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper  森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 僕がそろそろ南フランスにいるヒディンクの代理人に会い、企画の細部を詰めたいと思ったころ、なぜだかヒディンク側と急に連絡が取れなくなった。しばらくして僕たちが知ったのは、ヒディンクが推定年俸860万ユーロ(当時のレートで約8億8000万円)でアンジ・マハチカラと契約し、しかもある中国のクラブからの1500万ユーロ(当時のレートで約15億4000万円)のオファーを断っていたことだった。「まったくバカなことをしたものだ」と、後にヒディンクはオランダの雑誌に語っている。

 あれから4年。69歳のヒディンクは、チェルシーの監督を解任されたジョゼ・モウリーニョの後釜として暫定監督に就任した。一線を退いたはずの彼が、なぜこの仕事を引き受けたのだろう。

 ヒディンクは今回、失敗を繰り返した後にロンドンにやって来た。チェルシーのファンは、彼が2009年に暫定監督を務めたときのすばらしい仕事を忘れていない。ヒディンクはチームのムードを変え、FAカップを制し、リーグ戦の13試合で勝ち点34をあげた(1試合当たりの平均勝ち点は約2.62点となり、今もチェルシーの監督がプレミアリーグであげた数字としては最高だ)。

 だが、それ以降は散々だ。ロシア代表監督としては2010年ワールドカップの出場を逃し、トルコ代表監督としてはユーロ2012の出場を逃し、アンジ・マハチカラの監督もクラブの財政難が原因で辞め、オランダ代表監督としてはユーロ2016の出場を逃した。

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