EURO開催にも懸念。サッカーがテロリストの標的になる理由 (2ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper 森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 そのころテロというものはあまり深刻にとらえられておらず、この話もすぐに忘れられた。しかしこのテロ計画の中身は、アダム・ロビンソン(中東を本拠とするジャーナリストのペンネームだ)の不思議なほど注目されていない著書『ピッチの恐怖(Terror on the Pitch)』に詳しく書かれている。アルジェリアのテロ組織「武装イスラム集団(GIA)」のメンバーたちの手紙に書かれた計画の内容を引用して、ロビンソンは彼らが1998年6月15日のイングランド─チュニジア戦を襲撃するつもりだったと書いている。

 テロリストはマルセイユ・スタジアムに潜入し、イングランドの選手数人を射殺し、他の選手たちも爆殺し、スタンドに手榴弾を投げ込もうと計画していた。彼らの仲間はアメリカ代表が宿泊しているホテルに押し入り、選手たちを殺害する手はずだった。他のメンバーはポワティエという町に近い原子力発電所に航空機を突っ込ませ、放射能汚染を引き起こすことになっていた。

 計画が実行されていれば「9.11」のヨーロッパ版、いやそれ以上の大惨事になっただろう。この計画の後ろ盾にいたのは、国際武装組織アルカイダの指導者で、もとはフットボールを愛するゴールキーパーだったウサマ・ビンラディンだ。

 ビンラディンの伝記を書いたヨセフ・ボダンスキーによれば、アルカイダが1998年8月にケニアとタンザニアのアメリカ大使館を爆破して合わせて230人を超える犠牲者を出したのは、「当初の作戦であるフットボールのワールドカップ攻撃が失敗したため」だった。

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