2015.10.15

PSGのGMがスポーツビジネスに新風を巻き起こすまで

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper  森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 ロサンゼルスに行ったものの、知り合いがいたわけでもなかった。「テニスはけっこうやっていたので、大会に出た。テニスを通じて、オリンピックの組織委員会にいた人たちと知り合えた」。アルベールビルに帰った後、ブランは冬季オリンピックの関係者を再び訪ねた。

「『お久しぶりです。帰ってきました。あれから、ただぼんやり過ごしていたわけではありません。ロサンゼルスに行って、オリンピックがどう運営されたのか学んできました。リポートを書いたので、お役に立つかもしれません』と言った。すると先方は『いつから仕事ができる?』と聞いてくれた。『明日からでも』と答えた」

 オリンピック組織委員会の仕事は、キャリアでの最初の仕事としては理想的だった。「片づけるべきことが山ほどあるから、若い人間でも自信を持って取り組まないといけない。企業が20年間にぶつかる問題に、3~5年で出会うことになった」

 オリンピックが終わった後、ブランはハーバード・ビジネススクールのMBAコースに入った。クラスメートは多彩な顔ぶれだった。「米空軍のパイロット、南アフリカで非営利組織を運営している人、中国のエンジニア、ニューヨークの金融トレーダー......。自分の専門分野でけっこううまくやっていても、『世界は信じがたいほど広い。これほどさまざまな才能の持ち主がいるんだ』と思わざるをえない」。ハーバードの授業はケーススタディーをグループで分析することが中心だったから、ブランは他人の見方にしっかり耳を傾けることを学んだ。