PSGのGMがスポーツビジネスに新風を巻き起こすまで (3ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper  森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 しかもCERAMは「私が初めて異文化に触れた場所だった」と、ブランは言う。「私が卒業した学年に外国人はいなかったが、フランス国内のさまざまな地域の出身者に出会えた。『パリの人は、考え方が僕らとは違う。ブルターニュの人は......』といった具合。ソフィア・アンティポリスの環境も勉強になった。『外国企業がここに進出してきている。フランスだけが世界だと思ってはいけない』と考えた。窓をもっと大きく開いて、そこから自分を解き放たなくては、と」

 ブランがCERAMを卒業した1986年、サボワのアルベールビルが1992年冬季オリンピックの開催都市に決まった。「サボワは私の故郷だ」と、ブランは言う。「だから自分にこう言った。『そう、これは私のためのものだ。私はオリンピックの仕事をするんだ』。しかし、多くの人が『これは私のためのものだ。私はオリンピックの仕事をする』と思っただろうと簡単に想像がついた。だから、他の人より本気であることを示さなくてはならなかった」

 彼はオリンピック組織委員会の関係者に会ったが、1年後にまた来いと言われた。「そこでロサンゼルスに行った。まったく自分の意思で」。1984年にロサンゼルスで開かれたオリンピックは税金を使わない商業化された大会となり、近代オリンピックでは初めて黒字を出した。現地に行けば学べることがあるはずだと、ブランは考えた。

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