会長続投で証明。「バルサの父」クライフの影響力低下 (3ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper  森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 グアルディオラのプレイが遅くても、身体能力が今ひとつでも、クライフは気にしなかった。グアルディオラはスペースにパスを出すことができ、クライフにとってフットボールとは「スペースへのダンス」なのだ。1991~92シーズンに、グアルディオラを中心としたクライフの「ドリームチーム」はバルセロナに初のチャンピオンズカップ(現在のチャンピオンズリーグ)をもたらした。

 クライフが1996年に去った後も、バルセロナは「クライフ流」を崩さなかった。下部組織の「マシア」は、グアルディオラに似たパサーを次々と輩出した。シャビ、アンドレス・イニエスタ、セスク・ファブレガス、そしてリオネル・メッシ。この若者たちは夏の朝のマシアで、輪の中にいる「鬼」に取られないようにパスを回すトレーニングを続けていた。

 2003年にラポルタが会長に就任すると、彼はクライフに監督を選ばせた。最初にやって来たのは、クライフのアヤックス時代のチームメイトであるフランク・ライカールト。彼の下でバルセロナは、2005~06シーズンにチャンピオンズリーグを制した。2008年にはグアルディオラが監督に就任し、史上最高ともいえるクラブチームをつくり上げた。これらはすべて、クライフの残した伝統によるものだ。

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