選手の質のバロメーター。CLの舞台から日本人が消える日 (3ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki photo by Getty Images

 小野伸二と稲本潤一。当時21歳だった日本代表選手2人が、このシーズンを前に、欧州へ旅立っていった。小野はフェイエノールト。稲本はアーセナル。両チームとも、前シーズンの国内リーグの成績は2位。CLの本選へストレートインする権利を持っていた。

 CLの前身、チャンピオンズカップには奥寺康彦さんが1FCケルン時代に出場していた(78〜79)。しかし92〜93シーズン、チャンピオンズリーグに改称されてからはゼロ。日本人には遠い存在だった。

 もう一つの世界最高峰の戦いであるW杯では、98年フランス大会が初出場。01~02シーズンの翌年には、日韓共催W杯が控えていた。チャンピオンズリーガーの出現は、個人の力を世界に示す意味でも、また、団体と個人のバランスを保つ意味でも、待ち望まれていた。世界に知られた顔が代表チームに何人いるか。その数が多いほど箔がつく。存在感は高まるのだ。

 可能性が高いと思われていたのは小野だった。スタメンに近い選手として扱われていたからだが、「初」の栄誉を手にしたのは稲本だった。グループリーグ第2節、対シャルケ04戦。稲本は右のサイドバックとして、その後半の途中から出場した。小野の出場はその翌週。対バイエルンとのホーム戦に後半、途中出場を果たした。振り返れば快挙である。当時の彼らが備えていたような勢いを持つ若手は、いま見あたらない。

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